エンジン

瞑想の10日間コースから帰ってきた夫と、昨日久しぶりに話をしました。

1日10時間、他人と話すことも、活字を読むことも、何かを書き留めることもなく
ひたすらに瞑想を続ける日々は、自分とたっぷり向き合う時間をすごすことになります。
そして、たくさんの気づきを経験します。

今回、修行に行ったのは夫なのだけれど、面白いもので、私もこの間
いろいろなことに気が付きました。

私たちはいつも一緒にいるから、時々離れてみるといつも心にマスクを
しているようなことに向き合うことになるのです。夫婦って繋がってるなって
いつも思います。

気が付いたことの一つに、私を走らせているエンジンについて、というのが
あります。

なんのこっちゃ!?という感じですが、こんなことです。

わたしを今まで走らせてきた原動力。

それは、反発心だったり、嫌悪感だったり、怒りだったり。
「こうあるべき!」とか、「こうなっている方が良いのになんでそうじゃないの?」
というような気持だったと思います。

こういう感情をガソリンにして、前に進んできたと思う。

しかし、最近全然エンジンがかからないんです。
ガソリンが不足してる。
前に進めない。

昔ほど強い反発心や、嫌悪などという強い感情がなくなってる。
もちろん今でもあるんだけど、少なくなってきている。

一方、今、私は心の中で、今度は「感謝」や「愛」を燃料として使えるエンジンを求めていて、
それを原動力に前に進みたい、ともがいている自分がいることに気が付きました。

逆風を力に進むのではなく、順風を受けてピュアな情熱をもちたいともがいてる感じ。
そういう人間でありたい、という欲求なのですね。

その状態を夫に話しました。

帰ってきた言葉は、
「『進もう、進まなくては』という執着を手放して良いんじゃないのかな。
そんなにはっきり、今の自分の状態を分かってるなら。

違うエンジンを搭載しようとしないで、エンジンを使わない生き方を試してみたらいいよ。
自然に、自分の周りに起こる風を受けて、受け入れて生きる。」

そうかあ!
私はずっと進まなくてはいけないと思ってたし、それへの執着、欲求が
あるから辛いのだ。もっと自然に、ただ受け取ること、受け入れることを
自分に許すこと。

そうだなあ、って思ったのです。

こういう、電球がぴかっ!と光るようなインスピレーションをもらう瞬間が
なによりも嬉しい。瞑想コース明けの会話は、こういう楽しさでワクワクします。

私も明日から10日間コース
自分としっかり向き合って、でも、エンジン使わずに。
今の私には、まだまだハードル高いな(^_^;)